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玉(ぎょく)

「楚人和氏得玉璞楚山中奉而獻之厲王
 厲王使玉人相之玉人曰石也王以和爲誑而則其左足
 及厲王薨武王即位和又奉其璞而獻之武王
 武王使玉人相之又曰石也王又以和爲誑而則其右足
 武王薨文王即位和乃抱其璞而哭於楚山之下三日三夜涙盡而繼之以血
 王聞之使人問其故曰天下之則者多矣子奚哭之悲也
 和曰吾非悲則也悲夫寶玉而題之以石貞士而名之以誑此吾所以悲也
 王乃使玉人理其璞而得寶焉遂命曰和氏之璧」
韓非子 和氏第十三

この記録は藺相如の故事でも名高い「和氏の璧」の由来であるが、本物であっても世に認められるまでには筆舌に尽くしがたい苦労があったということ。和氏の璧は秦始皇帝の玉爾に加工されやがて失われてしまったが、現代でもその美しさを想像することができる。

東京国立博物館で開催の台湾國立故宮博物院展-神品至宝-7月7日まで展示された清代の名品「翠玉白菜」がその例。
tiket


翠玉白菜



さて、そもそも玉とはなんぞや?玉には石英や滑石もあるがほとんどは軟玉。清代に入って硬玉が増えこの白菜も硬玉。

石英 SiO2
滑石 Mg3Si4O10(OH)2
軟玉 Ca2Mg5Si8O22(OH)2 〜Ca2Fe5Si8O22(OH)2
   この極組成からなる固溶体。
硬玉 NaAlSi2O6

— posted by bemybaby at 01:40 am   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

戦後日本の幼年期は終わった

安倍晋三総理大臣の靖国神社参拝を支持する。

戦後日本の幼年期は終わった。


Yasukini Shirine



— posted by bemybaby at 12:13 am   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

一燈照隅、万燈照国

一燈照隅、万燈照国
 安岡正篤

國寶何物 寶道心也 有道心人 名為國寶
故古人言 径寸十枚 非是國寶 照千一隅 此則國寶
「国の宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝と為す。故に古人言わく、径寸十枚、是れ国宝にあらず、一隅を守り千里を照らす、此れ則ち国宝なりと」
 伝教大師 山家学生式

威王曰、寡人之謂宝与王異、有臣如檀子等、各守一隅、則使楚趙燕等不敢輙前、若守寇盗則路不拾遺、以此為将則照千里、豈直十二乗車耶
 荊渓湛然 摩訶止観輔行伝弘決 第五の一

魏王問曰 王亦有寶乎
威王曰 無有
梁王曰 若寡人國小也 尚有徑寸之珠照車前後各十二乘者十枚 奈何以萬乘之國而無寶乎
威王曰 寡人之所以為寶與王異 〜 將以照千里 豈特十二乘哉
 史記 卷四十六 田敬仲完世家 第十六 (維基文庫Link より抜粋)

魏王「あなたも宝をお持ちですか?」
威王「持っていません。」
梁王「私の小国でも、前後十二乗の戦車を照らすほど大きい24 cmの宝玉が10個もあります(自慢)。ご立派な貴国が宝を持ってないはずないでしょ?(皮肉)」
威王「私が宝とするのは、あなたとは違います。〜(我が臣下は各々の部署という一隅を守り)まさに千里を照らしています。十二乗の戦車だけを照らしているわけではありません。」 

史記には具体的な威王の臣下と役割が出てくるのだが面倒だから書かない。それぞれの臣下の役割を一隅とする。だからこの言葉は、「すべての人がそれぞれの分野で全力を尽くして生きて行くこと(守一隅)が、結局は国全体を照らすこと(照千里)になるという考えを示した」ものだという。(参考:あちらこちらのネット文からw)

 ややこしいことに「照千一隅」説と「照于一隅」説の論争があった。井上宏氏の論点解説によれば、山家学生式の「照千一隅」は摩訶止観輔行伝弘決の「照千里守一隅」だそうだ。面白いことに、井上氏は「照千一隅」を推しながらも、「照于一隅」の『「一隅を照らす」は千年来、多くの人心を捉え、勇気を与え、生きる指針となってきた。非力な市井の人々にも、その力と価値を自覚させ、いわば日本人の心性を形作ってきた。この事実は、この言葉に真理が宿っていることを示している。』とする。(井上宏氏, 一隅を照らす人、千里を照らす人, 2013Link

 安岡正篤師の「一燈照隅、万燈照国」については、致知出版社編,「安岡正篤人と思想」, pp.276, 致知出版社, 1998に「安岡自身の作によるこの言葉」と記されている。また安岡正篤, 「人物を修める 東洋思想十講」, 竹井出版, 1986に「私は多年『一燈照隅』(伝教大師が弟子たちに与えた教訓)ということを提唱してまいりました」という記述が見られるので、先の山家学生式に基づき、安岡師が創成された言葉である。(国立国会図書館レファレンス共同データベースLink

 庵主は安岡師の論文(安岡正篤,「照于一隅か、照千一隅か-『一隅を照らす』の論争について」, 「師と友」, 302、1975)も読んでおらず、安岡師の真意に無知ではある。けれども、もし「照于一隅」説に基づく原典の意味から逸脱したものだとしても、「一燈照隅、万燈照国」は、さらに大きな含蓄を持って巡り還ってなお息づいているように思われる。日本人の感性では「守一隅」が「一隅を照らす」に通じている。井上氏の言われるように、まさに「この言葉に真理が宿っている」のである。

 一灯照隅、万灯照国は、ヒゲの隊長こと佐藤正久参議院議員のトークショーLink で佐藤氏が黒板に大書きされた言葉です。佐藤氏お考えの「一燈照隅 万燈照国」Link は、
 一人一人が、いまできることをしっかりやる。
 万人がやれば、国がよくなる。

明治維新終了後からの富国強兵が敗戦で頓挫するまで70年、平和と民主主義で経済に専念していたのがシナの侵略で破綻するまで70年。次の70年のために国民が今、覚悟を決めなければならない。それが一燈照隅、万燈照国であると。

 含蓄ありすぎてまとめるのに二時間もかかったぜい。

— posted by bemybaby at 11:41 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

姑苏十二娘(姑蘇十二娘)

蘇州十二娘酥外装
十二娘酥

出張で訪ねた蘇州は蘇州駅で購入したのがこのクッキー酥糖「蘇州十二娘酥」。砂糖と胡桃入りのきな粉なのでご飯にかけて食したくなる。
蘇州には春秋時代は呉の都で姑蘇城があった。その呉の女性の鑑たる良妻賢母を12人の娘で表した。12人はそれぞれ女性ならではの職を代表し、いずれも創意工夫と勤勉に溢れるという。地元ではTVドラマになるほど定番のようだ。呉王闔閭の王墓がある虎丘では、花祭りのイベントまっさかり。そこにも姑蘇十二娘の、季節の花々で飾った看板があった。というか菊人形みたいなオブジェだろうか。

英文での紹介 Suzhou twelve NiangLink
簡体シナ語での紹介 姑苏十二娘Link


船娘 Chuanniang
舟に乗る母。江南は水の郷、川や湖の文化の産物として船が付きもの。
Chuanniang
船娘

绣娘 Embroidered mother
刺繍に勤しむ母。刺繍は蘇州の歴史の中で最も多く、最も古い伝統的な産業の一つ。素晴らしい品を得るには土産物屋ではなく市内の刺繍研究所で購入する必要があるようだ。ただしかなり高価。現地でも一万円、日本国内で購入Link すればその三倍は覚悟。
Embroideredmother
繡娘

织娘 Woven Mother
男耕女织という諺になるくらい、織物は女性の代表的な仕事である。蘇州はまた絹織物でも有名。しかし竪琴かと見間違うほど雅な織機だ。
WovenMother
織娘

茶娘 Tea Mother
蘇州太湖は茶の産地。茶摘みする娘は自然の一景らしい。茶文化は呉の魂、その習熟は女性の嗜みとか。
TeaMother
茶娘

扇娘 Fan Niang
山川花鳥の意匠の工芸品。
FanNiang
扇娘
 
灯娘 Lamp Niang
飾りのエレガントなシンプルで。滑らかで滑らかな提灯。
LampNiang
燈娘

琴娘 Qin Niang
世界無形文化遺産のひとつ呉文化を代表する古琴芸術。
QinNiang
琴娘

蚕娘 Silkworm Mother
養蚕は農家の嫁にも当然の習い。カイコは若さの象徴だとも。小学校の夏休みの宿題がカイコの飼育観察であった庵主などは、この絵に違和感があるんだけれども。桑はどこだ、お蚕様はどこだ、糞の世話をちゃんとしないと病気になるぞ。
SilkwormMother
蠶娘

花娘 Huaniang
ジャスミン(茉莉花)の香り溢れる蘇州。確かに花の都であった。絵は牡丹だろう。
Huaniang
花娘

歌娘 Song Niang
蘇州方言の柔らかな言い回しは呉の歌劇の繁栄をもたらし、今は山間民族の謡にその趣を留めるという。
SongNiang
歌娘

画娘 Painting Mother
蘇州は常に才能溢れる職人が集う絵画と書道のまちであった。
PaintingMother
畫娘

蚌娘 Clam Niang
蛤、と思いきや貴石宝石の類かな?金のビーズ、真珠、瑪瑙、翡翠。特に太湖の真珠は長い歴史を持っている。伝統的な螺鈿細工、古の玉は見事な輝きを今も残す。
ClamNiang
蚌娘


娘Niangとは、娘なのか母なのかわからん・・・。


— posted by bemybaby at 12:06 pm   commentComment [3]  pingTrackBack [0]

教育勅語に込められた伝統的価値観

教育ニ関スル勅語
「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此
 レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ
 兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ
 修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開
 キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無
 窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
 又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
 斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
 之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々
 服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

 明治二十三年十月三十日
 御名御璽」

国民道徳協会による皇国史観を排除した「教育勅語」の意訳。
 明治神宮のサイトから転記http://www.meijijingu.or.jp/about/3-4.htmlLink
 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 

  国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

  このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

昭和一桁生まれの親父が惚ける前にも教育勅語をまだ覚えていた。価値観がちょっと独特な父であったが、一応の倫理観はあったように思う。そんな高尚ではない民草も、教育勅語によって人としてまっとうに活きることができた。高学歴・富裕層であるルーピーとその後任取り巻きあたりの体たらくを見ると、そのことにあらためて気づく次第である。

国民道徳協会というものの実体が不明なのであるが、引用は皇国史観を排除した「教育勅語」の意訳である。改変が多いため既に勅語とは言えない。しかし、現代の我々が見ても、かくあって欲しいという伝統的価値観が我々の琴線に響く。この価値観は世代を越えて伝えていきたいものだ。

— posted by bemybaby at 01:20 am   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

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