碧血丹心

碧血丹心
 外物不可必,故龍逢誅,比干戮,箕子狂,惡來死,桀紂亡。
 人主莫不欲其臣之忠,而忠未必信,故伍員流于江,萇弘死于蜀,藏其血三年而化為碧。
 唐·成玄英疏:「碧,玉也。子胥萇弘,外篇己釋。
 而言流江者,忠諫夫差,夫差殺之,取馬皮作袋,為鴟鳥之形,盛伍員屍,浮之江水,故云流於江。
 萇弘遭譖,被放歸蜀,自恨忠而遭譖,遂刳腸而死。蜀人感之,以匱盛其血,三年而化為碧玉,乃精誠之至也。」  
    莊子集釋 卷九上 雜篇·外物 920

wikipediaおよびgoo辞書によれば「萇弘死于蜀,藏其血三年而化為碧」は「萇弘は蜀に死す。其の血を蔵すること三年にして. 化して碧と為る」と読み下す。周の霊王、敬王に仕えた萇弘は讒言され郷里の蜀に戻り自殺した。三年ほど経ってその血が青く美しい碧玉に化したという。この故事から「忠義を貫いて死んだ者の血は地中で三年経てば碧玉となる」との伝説が生まれたそうだ。丹心は真心のこと。つまり碧血丹心とは、忠義に殉じる真心を言う。

21世紀の、皆が平和だと思っている日本では、こんな言葉は故事成句でしかない。血を流すと言っても、明治維新も戦争も遠い昔となった今では、比喩にしかならない。だが、この言葉の如く死を選んだ若者がいたことが、唐突に報道された。
産経ニュース2012年12月29日[from Editor]「切腹した大学生」Link
切腹した大学生
2012.12.29 07:33[from Editor]
 昨年12月8日朝、石川県金沢市の石川護国神社で、22歳の金沢大生が切腹自決した。彼は北海道出身で金沢市に住む大学4年生、Sさんであった。警察が調べたところ、腹部と首に深い刺し傷があり、近くにはナイフと透明のビニールシートにくるまれた日章旗があった。

 Sさんはナイフで腹を十字に切った後、自ら頸(けい)動脈を切って自決したものと判明した。この日は小雨が降っており、国旗を濡らさないようにビニールに包んだものと思われた。彼は黒のスーツにワイシャツ姿で、靴は脱いでそろえておいてあり、同日未明に人知れず自決したものとみられた。

 彼が切腹した場所は、護国神社の境内でも奥まったところにある清水澄博士顕彰之碑の前であった。清水博士は慶応4年、金沢市の出身、東京帝大出身の憲法学者で、大正天皇、昭和天皇に憲法を講義したこともあった。その後、枢密顧問官などをへて、昭和21年から最後の枢密院議長を務めた。戦後の新憲法施行に反対し、施行の年の昭和22年9月25日、「幽界より国体護持と皇室安泰、今上陛下の御在位を祈願す」との自決の辞を残し、静岡県の熱海の海岸で投身自殺をした。その後、出身地の石川護国神社境内に顕彰之碑が建てられた。

 昨年の12月8日は、昭和16年12月8日の大東亜戦争(太平洋戦争)開戦から70年。Sさんは大学で安全保障問題ゼミに属し、日頃、ゼミ仲間らに、日本の安全保障の在り方について、熱っぽく語っており、自決のかなり前から、政府がきちんとした安全保障政策をとらないことに絶望する発言をしていたという。

 彼が自決した前年には、中国の漁船が尖閣諸島の領海で海保の巡視船に衝突、民主党政権が船長を釈放してしまうという失態を演じており、領土問題があらためてクローズアップされていた。

 この事件は大学生の単なる自殺事件として処理され、地元メディア以外はほとんど報道されなかった。だが、平成生まれの青年が、日本の安全保障政策に絶望して、切腹という手段で死を選んだ意味は決して小さくない。

 小雨降る中、暗い神社の境内で、靴を脱いで正座し、人知れず十字に切腹して頸動脈を切るというのは、なまなかな覚悟ではできない。これは国家、政府、国民に対する諫死(かんし)であり、憤死でもあろう。一周忌に当たり、あえて記した。(編集委員 大野敏明)
大野敏明編集委員は「一周忌に当たり、あえて記した」と書いた。重い言葉である。
知らなかった。こんなことがあったなんて。この学生-S兄のことを我々は知らずに居たのか!
これこそマスコミの使命、大野敏明編集委員どの、良く教えてくれた。
昨今では、この種の記事を右傾化への誘導と言いたがる向きも少なくなかろうが、主観を述べる論説であることが「From Editor」と明示されており、編集委員の署名もある。したがって、客観的な報道を装ったどこぞのイエロージャーナルのようないかがわしい記事とは明確に区別される。懸念は明確に否定できる。
むしろ、報道という点ではもっと重大な疑問がある。
なぜ今まで、青年の尋常ではない自死が国民に知らされなかったのか?
彼が決断したのは尖閣問題のそのさなかであった。もし何らかの意図があって報道が封印されたとするならば、それこそを国民は恐れるべきだ。

S兄の人となりを庵主は知らない。遺書も無いのなら真意はわからない。
ただ彼は、自刃の場所Link を選んだ。石川護国神社Link は日本人の心を今に伝える愛国者の聖地である。日本をまもる会・大東亜青年塾によって、平成12年に大東亜聖戦大碑Link が建立された。平成22年には「輝く天命戦の真実を知れ」と題する副碑の落慶記念式典が催された。例年8月3日には大東亜聖戦祭が執り行われているという。その不朽の輝きを誇る護国神社において、汚れないように包んだ日の丸を傍らに、スーツで正装して千年の伝統ある死に方を選んだ。この事実から、S兄が何を訴えたかったのか、心ある日本人ならば汲み取れないはずがない。

S兄の死を、むなしい自殺だと嘲笑する者が居るだろう。切腹なんて怖いと拒絶する者が居るだろう。だが、それで良い。日本人の伝統的価値観を理解できない者が笑うのである。恐れるのである。我々はただ、自分の知らない生き方を安い言葉で片付けるのは恥だと知っていれば良い。
欧米が猖獗した時代、アジアもアフリカも植民地となり、犬猫に劣る扱いを受けていた時代、我が国では若い志士達が血を流した。欧米の人種差別主義者らは死を怖れぬ志士達を理解できず、さぞおののいたことであろう。そして日本は植民地化から逃れた。
現代、敗戦によって骨抜きにされたはずの日本にもS兄がいた。これが伝わればシナなぞさぞ怖がることであろう。

S兄の決断は、ご遺族の気持ちを思えば不孝と言わざるを得ない。若者の死は到底認められるものではない。
だが理解できないわけではない。共感しないわけではない。いざとなれば、S兄に続く者は次々に現れる。
忠義を貫いて死んだ者の血は地中で三年経てば碧玉となるという。S兄の流した血もそうなる。魂魄は日本を支える御霊となる。S兄の御霊よ、日本を守る鬼となれ。

— posted by bemybaby at 08:29 pm   commentComment [1]  pingTrackBack [0]

この記事に対するコメント・トラックバック [1件]

Up1. 杉田謙一 — 2013/07/08@22:02:59

本当に辛いことでした、自決されてすぐに慰霊に参りました。大学の事務局にも。お話を伺いに云ったのでしたがノーコメントでした。ゼミでも国家問題を熱く語ってみえたと聞いています。私の持っていった祭壇代わりの台もまだ設置されています。心ある方が志を継いでいただきたく思います。お父様(若しくは家族のどなたか)から名前を出して下さるなと、まだ身内で悲しむ人がいるからとおでんわをいただきました。。遺書の公開を御願いしたのですが、駄目でありました。人の死は余りに辛いことですのでいたしかたなきこと。
魂魄となって日本を守ることを選択されたのです。しっかり受け入れ進みたいものです。

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